正月文化

“一年の計は元旦にあり”と言うように、一年の節目として、日本人は正月をことのほか大切にしてきた。日本文化、国民文化とも言える行事でもある。元旦の朝、父は、幼かかった私に四方拝を教えた。父と一緒に、東西南北を順番に拝んで、昨年への感謝と今年の無事を祈った。

そして、正月は子供にとって最も嬉しく楽しい時だった。畳の部屋に祖母、父、母、叔母、弟の全員が集まってお節料理を食べた。その後、お年玉をもらう。かるたや福笑いで遊ぶ。福笑いと言っても、今の子には何のことか分からないだろうが。 そして、親や親戚等がやって来て、子供たちはお年玉をもらう。我が家には、親戚は来なかったが、親と、商売をしていたことから、お客さんにもらった記憶が少しある。“もういくつねるとお正月”と歌詞にあるように、本当に指折り数えて待ったものだ。しかも、近くには、初詣で賑わう住吉大社がある。もらったお年玉を持って、いろんなものを買うわけでもないが、近所の友達と境内の出店に行った。

かつて、正月は家事を休み、商売人も店を閉めることが多かった。正月三ヶ日は、どこの商店、市場も閉まっていた。何かを買おうとしても、売っている店などなく、道路は閑散としていた。だから家庭では、年の暮れには買い出し、大掃除と、大忙しで、町は活気にあふれていた。それぞれの家庭では、正月休みの間、日持ちのするような料理を作って置いたもの。これが、お節料理。一年の始まりを祝う正月に欠かせないお節料理は、保存食として作っておくという意味合いもあった。

25年程前になるか、マクドナルドが近所にできた時、お節料理に飽きた人たちが、店頭に並んでいたのを覚えている。今では、普段と変わらず百貨店、大手のスーパーや近隣の商店が開いているのは、便利なようで、なにか正月らしくなく、私には寂しく感じられる。

羽根つき、たこ揚げもしなくなり、室内でのかるたや福笑いも電子ゲームに変化するなど、昔から行われていた日本の正月文化が減ってきた。私は、正月の雑煮が好きである。大阪の雑煮は、白味噌仕立て、すまし仕立てである。そして、その中に入れる具は、他府県に比べると具材の種類も豊富だという。江戸時代に天下の台所であった名残りなのだろうか。我が国で多くの伝統的な習慣が忘れられていくなか、正月には家族や親戚が集まったり、初詣や雑煮・お節料理を食べる習慣、近所の人々との年始の挨拶といった正月行事、そして初仕事での職場の挨拶は、今も行われている。そして、住吉大社では、1月15日には古札焼納式(とんど)が行われる。朝から近所の人たちはもちろん、かなり遠い所からも、昨年一年間に守護をいただいたお札やお守り、正月のしめ縄などを持ち寄り、焼き納める行事である。お札などを焼く煙を浴びると無病息災になると伝えられている。

こういった行事は、美しい日本の伝統、文化であり、いつまでも引き継がれ続いて欲しいものである。多くの伝統的文化に直接触れる機会を多くし、その良さを肌で感じることは大切なことであろう。

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