朝、いつものように鳥の啼き声が聞こえてくる。我が家の近くの神社には、以前は鳩が境内の木々や社殿の屋根にたくさん止まっていた。ちょっとしたハト公害の様相すらあった。ところが、いつの間にか殆ど見かけなくなり、代わって烏が増えた。カラスに追いやられたのか、雀さえ減ったようである。カラスが数多く棲み、飛び交い、よく啼いているが、美しい光景でもなく美しい声でもない。5月頃に、鶯の声が聞こえる時があるが、えらい違いである。しかも、カラスが群れをなしている時は、どことなく不気味でもある。
また、私が初めて勤務した府立高校には、鳩がいっぱい居た。そのせいなのか、或いは校章が鳩をもじっているせいか、その学校を近隣の人達はハト高と呼んでいた。今もそうである。そして転勤を重ねて21年ぶりにその高校へ戻ってきたら、鳩は全くおらず、居るのはカラスであった。ここも鳩が追いやられたのだろうか。
ところで、野口雨情作詞、本居長世作曲の歌に有名な「七つの子」<大正10年>がある。“烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ…”。ちょっと待てよ、カラスの子って、そんなに可愛いかなと思ってしまった。カラス、真っ黒で大きな体、時に不気味な声で啼く。鳥啼山更幽(鳥啼いて山さらに幽なり)とはほど遠い。家の前に出したごみ袋を破って散らかす。ヒチコックの映画「鳥」まで思い浮かぶ。でも、カラスであっても、子どもはやはりは可愛いか。
室町期の歌謡集「閑吟集」には「烏だに 憂世(うきよ)厭(いと)ひて 墨染めに染めたるや 身を墨染めに染めたり」というのがある。烏の体を僧衣に、つまり出家と見立て、それに自分の心境を託していることから、烏は今日ほど嫌われていなかったのだろうか。また、唐の詩人、白居易には「慈烏夜啼」という詩がある。親鳥に餌を運び、育ててもらった恩返しをするということで、親孝行のお手本でもあったようだ。
さて、この「七つの子」であるが、私は歌詞にある“可愛七つの子”は山に七羽の子がいると解釈していたら、歌のタイトル「七つの子」の“七”を巡っては、かつて“七羽”か“七歳”かという議論があったとのこと。山に可愛い七羽の子があるとばかり思っていたら、山に7歳の子があるからとは???
通常、カラスは卵を7個も産まず、3~5個とのこと。それなら7羽は無理か。一方、カラスは7~8年生きるそうである。これだと7歳のカラスは高齢者になってしまい「子」とは言い難い。それなら“七は?”。このため、これは人間の子を指しているというのである。かつて乳幼児死亡率が高く、子どもの命はいともはかない存在であった。「7歳までは神のうち」という言葉があるほど、生存が不確実な時代。その最も重要なのが数え年7歳<満5歳半>であり、死亡する危険が大きい5年をすぎた段階である。このことが七五三のお参りに繋がっている。そこで7歳というのが大きな節目だったことから、“七”が象徴的に用いられたのではないかと。
さて、孫である野口不二子さんの『野口雨情伝』には、次のような一文がある。
“明治45年………雨情は、林業に踏み出します。山小屋の周辺にはカラスが無数に飛んでいました。一羽のはぐれカラスが飛んでくると、雨情は息子の雅夫に「あのカラスはお父さんのカラスを捜しているのか、お母さんのカラスを捜しているのか、どちらだと思う」と聞きました。……。「カラスが『カアーカアー』と啼くのは『かわいいかわいい』と啼いているのだよ。カラスの別れも人間の別れも同根だよ。哀しむのではないよ」。……。雅夫が数え年7歳の時でした。やがて本当に父との別れが訪れます。一緒に植えた杉の子の生長を、雅夫は何回も見にいったといいます。童謡「七つの子」の原風景は、7歳だった息子との思い出がベースなっているのです”と。思わず“七”をめぐって考え込んだ。