虫の大きさ

 夏の蝉に代わって、9月に入ると虫の声が聞こえてくる。まさに秋が来たという感じである。子どもの頃に色々な虫を獲ったものである。蝶々、トンボ、セミ、ブンブン、バッタ。道端で、野原で。しかし、よく考えると、神はこういった虫に、よくぞ適度な大きさを与えてくれたものだと思う。もし、蝶が羽を広げたら、30cmもあったらどうだろう。そんな大きさの蝶、トンボやバッタが野原を飛んでいる。これでは網で子どもが追いかけるどころの騒ぎではない。恐怖の対象である。我が家の近くの神社では、夏になると蝉の大合唱。地上に出るや、命の限り鳴き叫び、瞬く間の1週間程で地に落ちて死骸をさらす。この蝉が20㎝程あったら、いや10㎝でも不気味である。網で獲ってかごに入れるどころではない。当然、その鳴き声も大きく、大音響だろう。辺り一帯が大変な騒音で、人は住めないのではないだろうか。

 もし、人から嫌われるゴキブリは、あの大きさでも皆から嫌われ、時に大騒ぎされる。これが15cm、30cmを想像すれば驚愕である。恐怖そのものであろう。そんなものが道を這っていたら、大きな音をさせて家の中に登場したら、想像するだけでも恐ろしい。玄関の戸締りをきちんとした上で、そこには大きな缶の殺虫剤を用意し、即座にホースで撃退しなければならない。こういったことを考えると、誰がその大きさを決めたのか知らないが、自然や神に感謝することだろう、と考えていたら、次の文に出会って愕然とした。 

 エッセイストの木村治美さんが、“何年か前、フランスの田舎をロマンチックな気分で散歩していたら、巨大なナメクジが濡れた道を横切っているのに遭遇。まるまると太く、長さも10センチはあったろうか。外国の昆虫類は、たいてい日本の同種のものよりどでかくて、度肝を抜かれる”と書いていたからだ。神の力は外国には通じないのか。フランスのナメクジは、神を冒涜するものなのだろうか。なにはともかく、外来魚を駆除などと淀川や琵琶湖など各地で取り組まれているが、いつの日か在来虫?を守ろうという事態にならいことを祈る。ところが、この外来種のナメクジ、すでに我が国に上陸して繁殖を始めているそうだ。体長は10センチを超え、15センチのものもいて、しかも豹柄というから迫力満点。さすがの大阪のおばちゃんもびっくり。茨城、福島、長野で確認されているとのこと。お会いしたくないものだ。

 さて、虫という漢字を使った字を拾い出してみると、蛍、虹、蝶、蜻蛉(とんぼ)、蛤ぐらいは、お近づきになりたい。蝉、蟻は微妙なところか。しかし、大半は敬遠したい。蛇、蚊、虻(あぶ)、蛆、蝿、蛭(ひる)、蝮(まむし)、蛾、蚤、虱、蠍(さそり)、蜥蜴(とかげ)、蟷螂(かまきり)、蝙蝠(こうもり)、蛞蝓(なめくじ)、蜘蛛(くも)等々。なぜだろう。字そのものが、どうも好きになれない。私自身が、その虫が嫌だから、そう思うのだろうか。

 ところで今日、蝿を殆ど見なくなった。それだけ清潔になったということだろう。今の子どもたちは、「ハエって、何?」と言うかもしれない。夏休みの宿題の昆虫採集に、間違って蝿を加えるかも分からない。

 最後に、『日本書紀』にこんなことが書かれている。「夏5月に、蠅有りて聚集(あつま)る。其の凝り累(かさな)ること十丈ばかり。虚(おほぞら)に浮びて信濃坂を越ゆ。」と。つまり、“推古35(627)年5月、高さ十丈(約30m)程の群れをつくり、信濃の峠を越えて行った”と。そして、「鳴る音雷(いかずち)の如し。」と。ホントかいな。

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