神のみぞ知る

 私は学校を卒業した昭和40年4月、新任教員として大阪南部の府立高校に赴任した。その時の校長さんが、昨年、100歳になられた。定年退職後、和歌山に住んでおられ、私が平成11年、その高校に再び赴任することになった折に挨拶に伺った。先生が退職されてから約30年後に、私が同高校に再び赴任したことになる。そういったことから和歌山のお家を訪ねたり、千里に住まわれていた際も、そして先般、横浜にお住まいの先生を訪ねた。

室内で車椅子を使用されていたが、お会いするなり、大変懐かしそうに話しかけられ、2時間の殆どを先生がしゃべられた。校長として在職しておられたときの教職員の名前も覚えておられ、それ以前の私が知らないことも話された。お菓子も、少し不自由ではあるが、大いに食べておられた。長いこと居るとお疲れではないかと思い、お暇しようとすると、先生は“まだ、おれ”と言わんばかり。そして門扉の所まで出て来られ、送って下さった。歳がいっても、こうなりたいものだと思った。

 ところで、その高校に勤務していた時、私が30歳代前半だったであろう。大学を卒業した新任の教員が赴任してきた。見るからに若々しく、誠実、温厚な人柄で、生徒にも人気があった。それ以前から彼の教科の準備室へは、毎日のように行っていた。その部屋には、色々と指導して下さった上司のT先生や親しかったM教諭が居た。2年程だったと思うが、当然、彼とも親しくなった。その後、私は転勤し、彼も別の学校に赴任し、それぞれの道を歩んだ。その後、某高校長になっていたが、途中で体を壊し先般亡くなった。58歳である。残念でならない。その高校に勤務していた時の最初の卒業生で最も親しかったSが63歳で一昨年亡くなった。同校で、大変お世話になったI先生が昨年末亡くなられた。91歳であった。また、私が、かつて勤務していた学校の教員が昨年亡くなった。50歳後半であった。なにかと親しくしてもらった先輩のKさん。誠実温厚な人柄であったが、一昨年、病に倒れ、昨年、亡くなられた。70歳にはなっていなかった。

 先週、かつての同僚に会った際、同じく同僚のSさんが10日程前に亡くなったことを知らせてくれた。私は、思わず「えっ!」と声が出た。某高校に勤務していた時、荒れた学校の建て直しに共に汗をかいた仲間である。62歳であった。先日も、知人が何の前触れもなく突然亡くなった。長寿でおられる校長先生は、酒を一滴も飲まず、昨年亡くなった彼も、そしてK氏も酒もそんなに飲まず、たばこも吸わなかった。一方、I先生はアルコールも煙草も嗜まれていた。最もI先生は体育の教師だったから、体は頑健だっただろうが。しかし、先日亡くなったSさんも体育教師で、酒も煙草も好んだ。だとしたら、この違いはどこで生じるのだろう。

 かなり以前になるが、時代劇に大川橋蔵という有名な俳優がいた。銭形平次は当たり役であった。氏は55歳で亡くなったが、体調がかなり悪くなった時に、医師に「大酒も飲まず煙草も喫まず、食事にも気を使い、いつも腹に健康帯を巻いてきた私が、なぜこんな病気になったんです」と言ったそうである。かつての同僚、そしてSやKさんには残酷過ぎる神の悪戯が、舞い降りたのだろうか。

生まれることは偶然でも、死ぬことは必然。避けることの出来ないもの。日頃から摂生していて長生きする者もいれば、そうでない者もいる。少し健康的でない生活をしていても長生きする者もいれば、そうでない者もいる。その早い遅い、この偶然と必然の間、その期間を決めるものは何なのか。もしかしたら、それぞれの人がいつ死ぬのかは、生まれたときから決まっているのだろうか。神のみぞ知るということなのかと、ふと思ってしまう。作家・山田風太郎の文に、“死が生にいう。「おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない」”と。いつ、突然、舞い降りて来ても、それなりの準備はしておけと言うことなのだろうか。

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