うまく飛び立てるか

海外旅行が盛んだというのに、我が国の航空業界は大変である。航空会社と言えば、学生の最も希望する企業の一つであった。ことに鶴のマークの日本航空は憧れの会社であった。ところが2年前、経営破綻。なんとか苦境は脱したとはいうもののまだまだ道半ば。再建への道筋が見えてきたのか、トップが交代した。企業再生支援機構からの出資金、金融機関からの巨額の資金支援、そして1万6千人以上の人員削減、不採算路線からの撤退などが功を奏したのであろう。さて、これから実力が試されよう。新しい社長は、これまでと違ってパイロット出身である。パイロット歴35年という異色の経歴である。

それより、私が“えっ”と思ったのは、この人が、かつての俳優・片岡千恵蔵のご子息であることだ。子どもの頃、市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、大友柳太朗に胸をときめかせたものだ。中でも市川右太衛門、片岡千恵蔵は特別であり、主役中の主役で、ともに『御大』と言われていた大物だった。別にフアンでもないが、市川右太衛門の旗本退屈男、片岡千恵蔵の豪快な剣さばき、そして現代物では七つの顔を持つ多羅尾伴内。私と同じような年齢の方には、懐かしい人たち。東映チャンバラ映画を見て育った私には忘れられない俳優である。ついでに、前者のご子息は言わずと知れた北大路欣也。

片岡千恵蔵は時代劇のスターであった。さまざまな時代劇映画に出演。東映時代劇全盛時代ではなかったかと思う。桜吹雪の中で片肌脱いで鮮やかな刺青に名タンカの『いれずみ判官』の遠山金四郎、『大菩薩峠』の机竜之介は当たり役であった。ぶつぶつと呟くような含み声の独特の台詞回し、そして最後に鮮やかに大見得を切るのである。

現代劇では、『七つの顔』で拳銃をぶっ放す多羅尾伴内を演じていた。ことに変装の名人ということで「ある時は…。またある時は…、しかしその実態は、…」というクライマックスの決め言葉は、一世を風靡した。同級生で、このセリフを真似る者もいた。数々のアクションものにも出演していた。

日本映画黄金期の顔であり、氏は年間10本の映画に出演。まさに日本映画がピークの時で、年間の総入場者数が11億人を超えていて、町の至る所に映画館があった。その後は中村錦之助、大川橋蔵に主役の座を渡していく。当時の時代劇スターには、東千代介、月形龍之介、千原しのぶ、田代百合子、高千穂ひづる、さらにお姫様役に大川恵子、桜町弘子などがいた。ことに女優さんについては、子どもの目から見ても、きれいな人だなという記憶がある。一年間に国民一人当たりの入場者回数が11~12回という桁外れの時代、我が家から歩いて2分のところにも映画館があり、10分まで広げると6館ばかりあった。しかし、それもはるか昔にすべて無くなった。

さて、パイロットから経営トップへというのは日本航空業界では初めてのようである。映画のように難問をバッタバッタと解決し、軌道に乗せられるかどうかである。

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