我が家の近くの住吉大社には、白馬がいる。住吉大社の神事に参加する神馬<しんめ>「白雪」である。約25年間、奉仕した先代は老齢と体力の低下のため引退し、新しい神馬は住吉大社鎮座1800年(平成23年5月12日記念大祭)に併せて、一昨年(平成23年5月9日)、代替わりした。
先代は、かつてはいつも境内の舎に居て、参拝者の親子が一皿 ○○円の餌を買って、神馬に与えているのどかな風景が見られた。その頃、綱をつけて神社の中を運動させてもらっていた。当時、飼っていた犬を連れて散歩していたら、偶然に運動している馬と出会った。そのとき、我が愛犬は、あまりに大きな犬(?)に驚いていた。その後は、普段、別の牧場に住んでいるようで、神社の祭礼行事のときには、境内の舎に居た。新神馬も、普段は別の場所で大切に育てられており、普段は舎にはいない。
私の子どもの頃は、住吉大社とは言わず、誰もが「すみよっさん」と言っていた。友だちと遊ぶときも、「すみよっさん行こ」と言い、親に聞かれると「すみよっさん、行ってくるわ」と答えていた。めったに住吉神社とも言わなかった。まして住吉大社とは。大社と言う言葉が使われ出したのは、戦前はともかく、戦後そんなに昔ではない。
その住吉大社が、一昨年、鎮座1800年を迎えた。鎮座とは神社を開くこと。神功皇后が政治をつかさどって11年目の年に開いたと、歴史書『帝王編年記』は記している。
白毛の馬を「あおうま」と呼び、正月に白馬を見ると、無病息災で一年を過ごすことができるとされ、縁起の大変良いものとされている。住吉大社の神馬「白雪」は純潔種の道産子馬で、赤い目を持つ珍しい白馬。その白雪号が、境内の四つの社殿の周囲を駆け巡る白馬(あおうま)神事が1月7日に行われた。本宮前に多くの参詣者が見守る中、神馬は第一本宮の周囲を勇壮に駆け巡る。ずっと昔、私が子どもの頃には、近在から多数の馬がやって来て壮観だったのを覚えている。この行事は、宮廷の行事が伝わったものである。
白馬節会の起源は明らかでない。『文徳天皇実録』には、仁寿2年(852)10月、天皇豊楽院に幸して、青馬を御覧になり陽気を助けたとの記載がある。また、『万葉集』には、天平宝字2年(758)正月7日に侍宴あり、そのために詠んだ大伴家持の歌に、“水鳥の鴨の羽の色の青馬をけふ見る人は限りなしと云ふ”とあるから、奈良時代にも正月7日に青馬を見ることが初春の宮中恒例の儀式であったことがわかる。ただし青馬は、いつの頃からか白馬にかえられたが、呼ぶには「アオウマ」のまま残されたらしい。なお、白馬のことをことさら「アオウマ」という理由は分からないようだ。
ところで、若い頃に読んだ藤本義一氏の随筆にこんなことが書いてあった。氏が青森県の七戸のある牧場に行ったときの話である。氏が白馬の仔がいないので「白馬の仔はいませんね」と尋ねると、牧場の人が「あなた、なにをいってるんですか。白馬は生まれた時は真っ黒で、目の片方に眼鏡をかけたような白い毛が生えていて、それが育つに及んで全身にひろがるんですよ」と。氏は無知だったと書いていたが、読んだ私は「エーッ」と、驚いたのを覚えている。