カルガモの不思議

5月1日(土)昼過ぎ、キャンパスを歩いていると、本学教員から池にカルガモが卵を産んでいるとのこと。校舎と校舎の間にある小さな池の真ん中に、ほんの小さな島がある。見ると、そこに7~8個ほどの卵が見えている。いつ産んだのか分からないが、猫やイタチに襲われてはいけないということで、職員がネットを張ってくれていた。このため親は、巣の傍にいた。思いのほか大きな卵で、鶏のより大きいのではと思った。このカルガモ、いったいいつ、どこからやって来たのだろうか。今まで本学にはいなかった。

毎日のように見に行くが、いつも親鳥は卵を抱いたまま微動だにしない。天候不順で、連日、雨が降り、それも風まじりのかなり強く降る日もあったが、親鳥はじっとしていた。どしゃぶりの雨の中でも、じっと卵を温めている健気な姿に、思わずそばへ行って傘をさしかけてやりたかった。この本能は、正直凄いと思った。最近の児童虐待を見れば、子育て本能に限って言えば、あらゆる動物の中で人間が最も劣っているのではないだろうかと心配になってくる。いや、これは日本の親だけかも。ともかくも見習うべきであろう。

卵を抱き続けているのも、ええ加減いやになってきて、どこかへぶらっと出かけたくならないのだろうか。ずっと卵を体の下に抱えたままなので足が痺れないのか、肩がこらないか、腰痛にならないだろうかと、つい人間と置き換えて考えてしまう。いつ雛にかえるのだろうか。ついに待ちに待った日がやってきた。5月21日(金)の朝、本学教員が、卵がかえったと知らせてくれた。親鳥について、元気いっぱい泳いだり、陸地に上がって元気よく鳴きながら走り回っていた。雛として誕生した途端なのに、この素早い動きに暫し驚嘆。丁度、10羽いた。皆、大喜びで、「かわいい、かわいい」の連発。

翌22日(土)朝、池の親子を見に行くと、一羽もいない。親も。一瞬、アレッ! 昼も、午後遅くにも、見に行ったがいない。親を入れて11羽が忽然といなくなった。全くの不思議。何かの異変があったとしたら、痕跡が残っているはず。

“カルガモのお引っ越し”と、よく新聞紙上に掲載されていることがあるとはいうものの、早すぎるのでは。あまりに皆がかわいい、かわいいと言ったので、親は子を連れてどこかへ避難してしまったのだろうか。それ以来、見かけない。捜索願いを出すわけにもいかない。夜のうちか明け方に、校門の警備員に見つからないよう親鳥を先頭に、一列になって出て行ったのか。どこかからやって来て卵を産み、雛が誕生すると、子どもを連れて再びどこかへ。本学に、ちょうど22日以上は宿泊、滞在したにもかかわらず、宿賃も支払わず、密かにどこかへ行ってしまった。宿泊代の請求もできない。どこかの池で、親子仲良く暮らしているのだろう。塞翁が馬の“馬”ではないが、成長した子ガモが子どもを沢山連れて、いつか里帰りしてくれるであろう。

This entry was posted in エッセイ. Bookmark the permalink.

Comments are closed.