こいのぼり

“やねよりたかいこいのぼり おおきいまごいはおとうさん ちいさいひごいはおかあさん おもしろそうにおよいでる”。 子どもの時に唄った歌である。昭和20年代の貧しい時代、今のように社会そのものが裕福でなかったから、家の庭や屋根の上に泳いでいるような大きな鯉のぼりは見かけなかったが、当時の子どもの心の中には確かに“こいのぼり”が泳いでいた。どこかに夢があり、無邪気に歌った記憶がある。学校でも習い、合唱した。

本学にも、先月から鯉のぼりが泳いでいる。本学にあるこども研究センターに、朝から親に手を引かれ、或いはバギーカーに乗せられてやってくる子ども達。親は、我が子の身長に合わせた鯉のぼりを新聞紙などで作った。様々な趣向を凝らして巧みに作られた鯉のぼり。本学の学生たちのアイディアも手伝って、手作りで作られた鯉のぼりが、校舎の吹き抜けの3階ロビーに渡した細い紐に、大小さまざまな50匹程が子ども達の夢を抱いて泳いでいる。それは、子の成長を願う親の心でもある。

泳いでいる鯉は、親が子どもの背丈に合わせたものゆえ、来年は、どんな大きさになるのだろう。親も子も楽しみ、ここにも夢がある。毎日、こども研究センタ―にやって来る親子が、自分たちで作った鯉のぼりを眺めている。

我が家の近くの神社にある御田(田圃)にもボーイスカウトの子どもたちが、指導者とともに本格的な大きな鯉のぼりを掲げている。それは、御田のレンゲが咲き乱れる中に泳いでいる。堺駅近くの土居川でも、川を跨ぐように多くの鯉のぼりが風に吹かれて泳いでいる。高架を走る電車の窓からも、時々民家の屋根の上で気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼりが見られる。

中国の後漢書に、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうとしたが鯉のみが登り切り、竜になることができた。この“鯉のぼり”は中国の故事「登竜門」から、男児の健やかな成長を祈ることから生まれたものである。激流の中「竜門」の滝を登り切った鯉は、霊力を帯びて龍になるという。

我が国では、“鯉のぼり”は、江戸時代に始まったようで、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景『水道橋駿河台』」に描かれている。それは真鯉の吹き流しのみ。その時代、男子の出世を願ったからと言われる。一方では錦鯉は普及していなかったため真鯉のみだったとも言われる。明治になって真鯉と緋鯉が対で揚げられ、昭和に入って小さな鯉が加わったそうだ。子どもの成長を願い、我が家をお守りくださいとの願い、祈りが込められている。そこには、温かな家族、ぬくもりのある家庭が存在し、間違っても今日の児童虐待などを考える余地もない。

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