テレビ番組「11PM」の司会で知られた藤本義一さんが亡くなった。多才で、ダンディ―な容姿と軽妙な語り口で人気があった。s49年に『鬼の詩』で直木賞を受賞。『鬼の詩』をはじめ『生きいそぎの記』『ちりめんじゃこ』『オモロおまっせ』など何冊か読んだが、なかでも『わが動物誌』は数回読んでいる。この本を初めて手にしたのは40年前である。学生時代の思い出にこんなことを書いている。
当時の府立大学には多くの犬がいて、集団を組みながらキャンパス内を走り回っていた。その中で、仲間はずれにされ、学生食堂の残飯も食べさせてもらえない一匹の雄犬がいた。少し強い風が吹けば倒れそうな痩せ細った犬であった。この犬を集団の中に入れてやりたい、そして腹一杯に食べさせてやりたいと考えた藤本さんは、黒の太いマジックインクで、その痩せた犬の胴に縞模様を入れて虎のようにするのである。眼のまわりにも、マジックで黒丸を一つ入れた。自分がどのように変貌したのか知らない犬は、首を垂れて歩き出した。珍妙な犬の出現で、学友たちは笑ったので、折角のアイデアも失敗だったか。そして、自分のもくろみが、その犬を仲間からもっと疎外させてしまうのではと心配する。しかし一方で、人間の世界と、動物の世界とは違うのではとも考えた。
縞模様を入れられた犬はひょろつきながら学生食堂へ向かって行った。そこには強者は弱者を蹴散らしながら仲間たちが、残飯を食べていた。ところが、その犬が近づいて行くと、異変が起こった。はじめに彼を見た一匹が、腰を抜かさんばかりに動転し、次々に逃げ出したのだ。その犬は、少しの間、呆然として目の前の食べ物を眺めていたが、突如、猛烈な勢いで食べ始めた。それから暫くして、その犬は毛艶も増し、体格もみるみる立派になり、自然と群に戻っていった。作戦は大成功である。ある時、ドイツ語の教室に入った藤本さんについて犬も入って来て、追い出しても帰らず、二時間の講義の間、氏の席の横に座っていたと書いている。
『この愛すべき長い奴「青」との別れ』では、大学の2度目の2年生(氏は7年在籍して卒業とのこと)の初夏の頃、子供にやられたのか、胴の鱗がはげて、淡紅色の肉をさらけ出した危篤寸前の青大将を拾い上げた。治療してやろうと患部を洗い、メンソレをつけて布で縛り、氏の大型ボストンバッグに棲みついた。鶏の肉、蝿を与えたり、次第に健康を恢復。バッグを開けると、鎌首をもたげて小さな目で、じっと氏を見る。そのうちに「藤本は蛇を飼っている」という噂が広まり、友人は気味悪がったそうだ。
“この青大将は、教室でも、電車の中でもバッグに入って、ぼくと行動を共にした。一日に一回か二回は、学校内の小さな池で運動と排便をさせてやったが、そいつはどうしても、ぼくから離れないようになった。口に指を一寸あてがうと、甘えるように大きな口を開けるのだ。…。「こいつの寿命はどのくらいであろうか」と、農学部の研究室に連れていくと、「さあ、長生きすれば1/4世紀ぐらいは生きるだろう」と…。25年生きるというのだ。ぼくとしては絶望的になった。1m以上のそいつは、…日に日に太く長くなって重くなってくるのだ。…手にしたバッグの重みで肩が痛くなってしまうのだ。それに、この青大将の「蛇生」が、バッグの中にいることで、永久に失われてしまうのではないかと考え、ある初秋の一日、ぼくは、そいつとおさらばしようと決心した。「ま、自力で生きていてくれ!」ぼくはそいつを一握りにまるめて、池の中央に放り投げた。が、そいつは巧みに泳いで、ぼくの方にやってくるのだ。ぼくは一目散に逃げた。その翌日から、ぼくは軽いバッグに、限りない虚しさを覚えたものである”と。
そのほかに、アヒルやカエル、そして飼っていたセキセイインコに纏わる話などを書いている。どれもきめ細やかな愛情豊かな氏の温かさ、優しさが偲ばれる。