COLLEGE MAGAZINE

インタビュー vol.26 2021年度を振り返って ~東大阪大学編~

2021年度を振り返ってインタビュー ~東大阪大学編~

昨年度に引き続き今年度も学生にこの1年をどう過ごしたか、お話を伺いました。学生一人ひとりの考え方や行動力が、これからの進路へ向かうきっかけのひとつとなると思います。(インタビュー日:2022年2月)

※インタビュー中はマスクを着用し、写真撮影時のみ外しております

自閉症児と関わり、人を理解することの大切さを知った。こども学科4年次 西阪知樹さん

―― 卒業研究は「自閉症についての理解」というテーマで取り組まれていましたね。

西阪さん 大学3年の時に施設実習に行ったことがきっかけです。
そこで自閉症児と関わる機会があり、その時の自分は自閉症のことをあまり理解しておらず、どういった支援や関わりが必要なのか具体的に学びたいと思い、この研究テーマに取り組みました。

―― 実習での関わりを教えてください。

西阪さん 自閉症児にはどういった行動があるのか、子どもの様子を伺って、そこで子どもが1人で遊んでいたら一緒に遊ぼうよと声かけをしてみたり、どういう援助が必要なのかと自分で考えながら関わってきました。
また職員のかたからこういった支援が必要だとか、こういう関わりをするほうがいいと指導を受けました。
言葉をかけることで、子どもが「わ!ちょっと話しかけてもらえた!」と距離感が縮まったり、信頼関係にも繋がると思うので、実習を通じて声かけが大事なんだろうなと感じました。

―― 実習を通じて嬉しかったことはありますか?

西阪さん 自閉症児の主な特性として、他人とコミュニケーションを取ることが苦手なんですね。だから子ども一人ひとりの目を見て大きな声で挨拶をするというのを心がけていて。子どもの目線に立ったり、寄り添うことで子どもが向き合ってくれるようになるかなと。

そうやって過ごしてきた実習の最終日に、外で遊ぶことが苦手な子どもがいたのですが、この時間は園庭で遊ぶ、ということになって。その時に「ブランコしたい」と言われて。「一緒に遊ぼう」って声をかけてくれて。
話しかけてくれるんや!みたいな。感動したというか、そこで成長とまではいかないですけど、そういうものが見られたことがすごく嬉しかったです。しかも手を引っ張って「一緒に遊ぼう」って言ってくれたので、心がきゅんってしました(笑)。
もともと子どもってほんまかわいいなぁと思ってて、特にそう思えたのがその実習で、そこから障がい児をメインとした放課後デイサービスで、アルバイトさせてもらいました。

―― 卒業後の進路をお聞かせください。

西阪さん 障がい児の入所施設で働かせていただくことになりました。
もともと幼稚園の先生や保育士になりたいと思って、この大学に入学しましたが、実際に学んでいく中で、児童養護施設で働きたいなっていう気持ちの変化もあって。
実習がきっかけで、ころっと変わったっていうのではなくて、自分が進みたい方向の決め手になったっていうか。
親御さんがいない家庭とか、この子どもたちに支援をしたいという思いが強くなって、それが最終的に障がい児施設で働くという進路にたどり着きました。
そこで子どもたちが少しでもよりよい生活を送るために、自分に何かできることがあるのかなぁって考えています。

―― 障がいもそうですが、人種や性別なども含めて、よりよい社会になるには何が必要だと考えますか?

西阪さん うーん、、やっぱり【理解】ですかね。そして理解している人が、こういった支援が必要だと発信することで、さらに多くの人への理解や支援に繋がっていくのではないかと考えています。
イオンでアルバイトさせてもらっていたこともあるんですが、そこでは身体障がいを持っているかたと一緒に働くために、今後どうしていくかっていう勉強会がありました。
その障がい者のかたも社会に向けて頑張っていますが、その頑張りに必要なのは、周りからの理解が一番だと思うので、そういった会社が増えたらいいなと感じました。

―― 将来の目標をお聞かせください。

西阪さん 目標は、アンパンマンみたいな信頼感っていうか、ほんまにそれぐらい愛される人になりたいなって思っています。
将来に関しては、今は保育の方を学んでいるんですけど、あと3年ぐらいしたら高齢者に目を向けたいと考えています。祖母が難聴と認知症の疑いがあると診断されたのがきっかけです。
高齢化社会だから今後必要になってくるだろうし、高齢者に向けての支援がいつでもできるように介護福祉士の資格を取ったり、そういった方向にも力を入れていきたいと考えています。

夢はランニングステーションを作って地域貢献していきたい。こども学科4年次 神薗芽衣子さん

―― 卒業研究は、阿見アスリートクラブにおけるスポーツを活用した「地域共創」研究、とのことですが、取り組もうと思ったきっかけを教えてください。

神薗さん 私は中学時代から陸上競技を始めたのですけど「なぜ自分が続けているんだろう」と考える機会があって。ずっと「自分のため」っていう理由しか浮かばなかったのですけど、大学2年の冬に、陸上の田母神一喜選手が「地元福島に恩返しを」という目的を持って活動されていると知り、実際にインタビューもさせていただき、こういう生き方というか、こういう競技の仕方があるんだなってとても刺激を受けて、卒業研究で取り上げようと思いました。

―― 田母神選手について詳しくお聞かせください。

神薗さん 合同会社IIIF(スリーエフ)というランニングイベント団体を立ち上げ、現役で陸上選手として活躍しながら、IIIF(スリーエフ)の代表として福島のために様々な活動を展開されています。
例えば、この1月に駅伝大会を開催されていたのですけれど、地元福島の酪王カフェオレさんとコラボした商品をプレゼントにしたり、ダンスクラブを招いて競技の途中でダンスを披露してもらったりと、面白い企画をされていました。

―― 阿見アスリートクラブの活動について教えてください。

(※田母神選手は2022年3月31日をもって阿見アスリートクラブを退社されています)

神薗さん 阿見アスリートクラブは茨城県阿見町にあり、NPO法人と株式会社があります。NPO法人では主に陸上を中心としたクラブの運営と、大会の開催や阿見町から委託されている健康推進事業を進めています。株式会社ではプロアスリートを雇用しており、オリジナルTシャツなども作って販売し、売上を選手の活動費に充てているそうです。
私もTシャツを買いました。買うとファンクラブに入れるようになっていて、オンラインミーティングに参加できたり、選手の言葉やスポンサーさんの紹介など掲載されている広報誌が毎月届きます。
また卒業論文で取り上げるのに、こども食堂と何か関連付けたいなと思っていました。就職活動で様々な園を見学する中で、やまとこども園(奈良県)の食育活動、例えば陶器食器を使用したり、食材にこだわったりということを知り衝撃を受け、それを論文にまとめました。

―― 研究を進めていく中で、神薗さんにとってスポーツとは?

神薗さん スポーツで健康の増進はもちろんなんですけれども、言葉が通じなくてもスポーツができるっていうのが良いところだと思うんです。
海外のかたと交流できたりすることや、同じ仲間と取り組むことで一体感が生まれ、それが地域の一体感にも繋がると思うので、そういった意味でもスポーツを通して地域を活性化するっていうのは、持続的に見てメリットがあるのではないかなと思います。

これは自分の勝手な想像になってしまうんですけども、スポーツっていうと学校の体育っていうのを思い描いているかたが結構多くて、それは明治時代に富国強兵として体育が導入されたっていうのが背景にあって。
それが現代では地域振興に移り変わってきてるっていうのは、少子高齢化社会にあって高齢者に向けたスポーツの活性化であったり、健康寿命の延伸であったり、生涯学習として取り入れられているっていうのが一番大きな変化かなと思います。

―― 具体的にどんなことをしていましたか?

神薗さん 朝8時30分から9時の間に集まって、食事の支度をし、開催場所まで運びます。 その後、配ぜんや、私は幼児教育を勉強しているので、絵本の読み聞かせや工作をしたりしました。絵本を読み始めると、子どもたちが集まってきてくれて、喜んでいる様子を見るのが一番楽しかったです。
工作については、子どもの年齢層が様々なので、小さい子どもでもできるようにシールを貼るだけで完成するものや、年齢が上の子どもでも楽しめるように、油性ペンや水性ペンを持っていって、絵を描かせてみたりなど、内容をいろいろ考えました。
また、季節に合ったものを題材にし、例えばひなまつりだったら、おひなさまを紙コップで作ったりしました。事前に切っておいた画用紙や折り紙を、ここに貼ったらできるよって話をしながら一緒に作りました。

―― 卒業後の進路は?

神薗さん 陸上自衛隊で働きます。
合同説明会の帰りに陸上自衛隊のかたが出待ちされていて、話を聞いているうちにいいなと思って、受験して合格しました。
陸上自衛隊を選んだのは、たくさんの駐屯地があり、その地域の人に貢献できるっていう理由で選んだんですが、いろんな地域を見ることで自分が生まれ育った地元の良さをもう一回感じることができるかなっていうのも思ったので、一回地元を離れてみようと決心しました。

―― 将来の目標を聞かせてください。

神薗さん まだ少し考えている段階なんですが、やっぱり地元(箕面)が大好きなので、ランニングステーションを開いたら、もっとみんな走りやすくなるんじゃないかなって思っていて。
実家が飲食店を経営していたため料理も身近だったから、カフェを併設したランニングステーションをやりたいなと漠然とですが思っています。

勝てるピッチャーになってチームに貢献し、人としても成長できる1年にしたい。国際教養こども学科2年次 瀬田将生さん

―― 硬式野球部発足時にインタビューさせていただきました。(参考記事:COLLEGE MAGAZINE vol.49 硬式野球部)今年度はいかがでしたか?

瀬田さん 総勢25人に増えました。
春季リーグは途中で打ち切りになってしまったのですが、秋季リーグは棄権した学校がありながらも最後までやれて、練習の雰囲気も上がってきて、去年よりもいい1年になったんじゃないかなと思っています。

―― 途中で打ち切りとなったそうですが、春季リーグでの結果は?

瀬田さん 僕自身一試合目はフルではないんですが先発させてもらって、2試合目は途中から投げさせてもらいました。
結果は引き分けと負けでした。
1日目は僅差で引き分けに持ち込めたのですけど、2日目の試合はボロボロで、大差つけられてしまいました。全然ダメでした。
自分の力不足なんですけど、やっぱり相手のほうが上だったり、自分の中での100点を出すことができなかったので、本番での弱さが理由だと考えています。

―― 本番での弱さはどう克服できると考えますか?

瀬田さん 練習するしかないと思います。やっぱり練習でつけた自信って絶対に裏切らないと思うので、しっかり野球と向き合って、いろんなこと考えながら練習することで、本番の自信に繋がってくると考えています。

―― 秋季リーグの結果は?

瀬田さん 秋季リーグでは2勝を上げることができました。1年生のピッチャーの子が踏ん張ってくれて、完封勝利で1勝目をあげて、次も何とか1点2点差に抑えて勝つことができたので、ピッチャーの頑張りが大きかったと思います。
やっぱり負けてばっかりでは負け癖っていうのがついてしまうと思うので、勝つ喜びが味わえて、チームの雰囲気も少しずつ変わってきました。
ノックの練習も、最近は全員で声かけあって元気出してっていう傾向があるので、そういうところが変わってきたかなと感じます。

―― 副主将として、来年度の目標はなんですか?

瀬田さん 3部リーグで優勝して、入れ替え制に勝って、2部に行くっていうことですね。自分が在学中に行けるところまで行きたいです。

―― 瀬田さん自身の来年度の目標は?

瀬田さん 2021年の初めから引きずっていた肩のケガがあって、それはギリギリ治って、春はケガなく投げられましたが、秋期リーグの時に疲れがたたりケガが多く、結果も全然伴わず、すごく悔しい1年でした。
自粛を挟んだらいろいろと崩れていて、今までできていたことができなくなっていて、自分ってこんなもんなんやって、2020年とはまた違う悔しさでしたね。

2020年の秋期リーグが終わった後から、ウェイトトレーニングを始めて、そこで体重も増えて、後はピッチングを見てくださっているコーチから、こういうところを直したほうがいいよって、冬の時間のある時にしっかりと直して、春以降しっかり投げられるように頑張ろうっていって、克服できました。
目標としては、球速にこだわっているので、今130キロ後半くらいなんですけれど、なんとか140キロ台に乗せたいです。
そして自分が投げて勝った試合っていうのがまだ一度もないので、勝てるピッチャーになってチームに貢献して、あとは人としても成長できるような1年であったらいいなと思います。

―― 将来の目標は?

瀬田さん プロ野球選手に限らずなんですけど、自分が教えてもらって良くなったっていう経験から、未来ある子どもたちに教えたりとか。野球にいろいろ与えてもらったので、自分も野球で何か与えられるような人間になりたいです。
特に今年の目標として「縁を大事にする」と掲げているので、卒業しても野球に縁があったら、その縁があるところで野球に関われたらいいなとは思っています。
いろんな縁を大事にして、周りの人を大事にしながら自分の人生も大事にして。そういう人生でありたいです。

インタビュームービー

【東大阪大学】2021年度を振り返って音声が流れますので、再生の際は音量にご注意ください。



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