インタビュー vol.21 2020年度を振り返って ~東大阪大学編~
2020年度は新型コロナウイルス感染拡大という世界的状況に始まり、学生たちも試行錯誤しながら年度末を迎えました。この1年の学生生活を振り返って、お話を伺いました。(インタビュー日:2021年1月)
※インタビュー中はマスクを着用し、写真撮影時のみ外しております
―― 卒業研究発表では「水族館の魅力」についてお話しされていました。
村上さん 自分が1番好きなことについて論文を書くほうが気持ちも入るし、書きたいと思える題材だったので、このテーマを選びました。
―― 水族館が好きな理由はなんですか?
村上さん 海や自然が好きなんです。海の中は怖いと思っているのですが、水族館は、そんな海を泳ぐ魚の目線で見ることができるというところが好きです。
また、僕の家系は釣りが好きだったりして、小さいころから魚に触れる機会が多かったこともあると思います。兄は漁師を目指して、今年から五島列島に行くことになったんです。
そのなかでも1番のきっかけは、昔、父の趣味で大きな水槽に海水を作って、カクレクマノミを飼育していたことです。サンゴに色をつけたり、本格的なアクアリウムをしていました。
カクレクマノミ特有のサンゴに隠れたり出てきたりっていうのをずっと見ているのが楽しかったです。名前を付けたりもしました。
だから好きな魚もカクレクマノミです。
―― 好きな水族館ベスト3を教えてください。
村上さん 1位は卒業論文にも書きましたが「くじらの博物館」(和歌山県)です。
規模的には小さいのですが海と繋がった水槽なので、イルカに触れたり、餌やりも自由にできたり、ここで初めてイルカに触れたので印象深いです。
2位は名古屋港水族館(愛知県)です。
新しめの水族館でプールが大きく、下から見えるようになっていることも新しいなと思いました。ショーも規模が大きいのですごくよかったです。
3位は四国水族館(香川県)です。
2020年にオープンしたばかりの水族館です。たまたま四国に行くことがあって行ったんですが、パンフレットが凝っていて、見やすかったりおしゃれだったりっていうのが、印象に残っています。
―― 水族館に求めることは?
村上さん 自分がどれだけ興奮できるか、ですね。
初めて行った京都水族館(京都府)で、イルカなど大きめの生物を見るのが初めてで、興奮がすごくて、今でもまだ覚えています。
魚の大きさはもちろんですが、大きい模型でも気持ちが高まりますし、水槽の中の岩の空き方とかもわくわくします。
美ら海水族館(沖縄県)に行くのが1番の目標です。沖縄にも行ったことがないので。
鴨川シーワールド(千葉県)も、種類が多いって聞くので、いろんな種類を見てまわりたいと思っています。
―― コロナ禍での学生生活はどうでしたか?
村上さん 他の大学と比べて対面授業は多かったのですが、オンライン授業だと必然的に課題が多くなるんですね。
課題の提出期間を毎回調べたり、見逃すと欠席になるので、そこが難しかったです。
―― 就職についてはどうでしたか?
村上さん ホテルの企画販売部で働くことになりました。
人と話すことが好きなので、活かせる仕事を探していましたが、やりたいことを探しては落ちて、というのを繰り返して、ようやく決まりました。
コロナ禍の影響はやっぱりあって、募集人数が少なくなったり、友達が内定取り消しになったりという話は聞きました。
僕自身も、就職活動を始めるのが遅くなってしまったので、結構危機感はありました。
―― 最後に、研究して水族館に改めて感じた魅力とは?
村上さん 水族館に行けば、シャチやクジラにも気軽に会えるし、魚と同じ目線で海の中を見ることができます。ショーをひとつとっても場所によって魅せ方が全然違うので、そういう楽しみ方も再確認できました。
―― 東大阪大学 こども学科を選んだ理由は?
岡さん 私が最終的に進路を決めたのは高校3年生の夏です。
それまでは旅行好きな両親に何度か海外に連れて行ってもらったこともあり、留学や国際関係の学部を目指そうと思っていました。でも本当にこれでいいのだろうか、とずっと悩んでいました。
そんな時TVCMで「保育士が足りない」と目にして、「なぜ世の中に保育園・幼稚園が溢れているのに、保育士が少ないのだろう」という疑問を抱き、保育士を目指すことを決めました。
東大阪大学を選んだのは、オープンキャンパスに2度参加し、先生と学生の距離がとても近いというのが魅力的だったからです。
―― 4年間の学生生活で学んだことを教えてください。
岡さん この4年間はボランティア活動にかなりの時間を費やしたので、そこから学んだことは多かったです。
こども食堂や、小学校での絵本の読み聞かせ、居場所づくりでの活動にも参加させていただいて、特に居場所づくりの活動では、地域ぐるみで子どもから高齢者まで関わっていく、そういう地域交流がこれからの時代には大切になってくるだろうな、と思いました。
―― 卒業論文では、こども園での食育についてまとめられていましたね。
岡さん 大学の授業の中で「こども食堂」というものを学び、調べていくと大阪や東京だけでなく、全国にあるということを知って、家から一番近いところにある、大和八木こども食堂(奈良県)にボランティアとして行かせていただきました。
また、卒業論文で取り上げるのに、こども食堂と何か関連付けたいなと思っていました。就職活動で様々な園を見学する中で、やまとこども園(奈良県)の食育活動、例えば陶器食器を使用したり、食材にこだわったりということを知り、衝撃を受け、それを論文にまとめました。
―― ではまず、大和八木こども食堂でのボランティア活動のきっかけを教えてください。
岡さん まず、こども食堂では「無料でご飯が食べられる」ということに衝撃を受けまして(笑)。
ごはんとお味噌汁と漬物、みたいな素朴な食事をイメージしていましたが、いざ参加してみると、カレーライスなど、様々な家庭料理を中心に作っておられました。
大和八木こども食堂では、みんなで楽しく、同じテーブルを囲んでご飯を食べる、ということを大切にしていて、困っている子どもたちはもちろん、地域の方々も合わせて平均50人くらい参加されています。
―― 具体的にどんなことをしていましたか?
岡さん 朝8時30分から9時の間に集まって、食事の支度をし、開催場所まで運びます。
その後、配ぜんや、私は幼児教育を勉強しているので、絵本の読み聞かせや工作をしたりしました。絵本を読み始めると、子どもたちが集まってきてくれて、喜んでいる様子を見るのが1番楽しかったです。
工作については、子どもの年齢層が様々なので、小さい子どもでもできるようにシールを貼るだけで完成するものや、年齢が上の子どもでも楽しめるように、油性ペンや水性ペンを持っていって、絵を描かせてみたりなど、内容をいろいろ考えました。
また、季節に合ったものを題材にし、例えばひなまつりだったら、おひな様を紙コップで作ったりしました。事前に切っておいた画用紙や折り紙を、ここに貼ったらできるよって話をしながら一緒に作りました。
―― 難しかったことはありますか?
岡さん ボランティアスタッフ同士の意見がかみ合わないことがありました。
代表の方は、どんな境遇の方でも受け入れる、という方針を持たれていて、こども食堂は基本的に予約制ですが、予約をせずに当日来られた方に、自分が食べる予定だった食事を提供してしまうんです。お米を使う量が多いので、ごはんが足りなくなると、炊いている時間がないからスーパーに炊けているごはんを買いに行かないといけなかったり。
奈良県内のこども食堂は、設立してから三年目までは県の方から補助金が出るのですが、大和八木こども食堂は、おととしに4年目を迎え、補助金もなくなったので、今は寄付だけでやりくりしている状況です。
その状況で、そこまでして受け入れるのか。人数をある程度見込んで、予約された方しか食べられませんよって決めた方がいいんじゃないかとか、一度話し合いにはなりました。
―― 代表の姿勢から学んだことはありますか?
岡さん 代表には、子どもからはお金を取りたくない、という想いがあります。
子どもから100円でももらえれば、運営資金の足しになるけれど、それだったら大人の方を上げたいっておっしゃっていて(大人は300円)。
福祉のお仕事をされている方で、私もこんなボランティア精神を持った人間になりたいなと思いました。
―― 次にやまとこども園についてお聞かせください。
岡さん まず、陶器食器を使用しているということに衝撃を受けました。子どもが使うものですし、陶器は落としたら割れるので、もしけがをしたらどうするんだろうとか、心配していました。
また、5歳児クラスのピザづくりを見学させていただきました。
生地から捏ねて発酵、生地を広げて具材を乗せていくという工程なんですが、かなり本格的なものでした。
陶器食器を使ったり、ピザを生地から作ることは、幼少期のころから「本物に触れる」という方針だそうです。
―― 様々なボランティア活動を経て、いよいよ保育士として出発しますね。
岡さん 先生目線で見守るだけじゃなく、子どもたちと一緒に取り組んでいけるような保育士になりたいと思っています。
そして私には、保育園を作りたい、という夢があります。
その目標もあって、学生の間にいろいろな幼稚園や保育園の方にも見学に行かせていただく中で、園によってさまざまな方針を見てきました。
いいところを取り入れて、子どもたちはもちろん、保護者の方やそこで働く保育士の方々、地域住民の方々も、全ての方々に存在価値のある保育園を作りたいと思っています。
―― 硬式野球部のメンバーとして活動されていますね。いつから野球を始めましたか?
吉川さん(吉は土のしたに口)
野球を始めたのは小学生からです。下校の時、少年野球のコーチが「野球やりませんか?」って門の前でチラシを配っていて、楽しそうやな、と思ったのがきっかけです。
それまではずっとサッカーをやっていました。野球にはまったく興味なかったです。しばらくサッカーと野球と両方続けていましたが、それでも最初はサッカーの方が楽しいと思っていました。
ある日、父親に「おまえは野球の方がええぞ」って説得されて、そこから野球に専念するようになりました。
―― それから中学・高校と野球を続けてきた?
吉川さん 中学は外部の硬式野球で続けました。
僕は大阪出身なのですが、たまたま試合を見に来ていた和歌山の監督に誘われて、野球に専念したかったし、この監督の下なら精いっぱいできるなと思って、和歌山の高校に進学を決めました。
―― 高校野球と言えば、甲子園ですね。
吉川さん 甲子園を目標に、がむしゃらに練習しましたが、地区大会2回戦敗退という結果で終わりました。
実力はそれほど差がないかもしれないけれど、練習量や体力面での差で負けたように思います。甲子園行ってみたかったですね。
―― 国際教養こども学科を選んだ理由は?
吉川さん 進学しても野球は続けたいと思っていました。高校の監督と今の監督が知り合いで、誘っていただきました。
野球部はスポーツ強化クラブとして、午前は練習に充て、午後から授業を受けることができるため、野球に専念できる環境だと思いました。
―― 国際教養こども学科は留学生が多いですね。
吉川さん みんなおもしろいです。特にブイヤンさん(ブイヤン オバイエアドさん 参考: COLLEGE MAGAZINE VOL.50)はいつも明るくて、話していると楽しい。
留学生の中では、彼とよく話します。
バングラデシュの話も聞きます。クリケットが有名で、彼もクリケットが好きらしいです。野球部にも1回誘ったんですが、断られました(笑)。
―― 東大阪大学のいいところは?
吉川さん 先生がみんな優しくて、親身になって話を聞いてくれたり、留学生もおもしろい子ばっかりで、そこがいいですね。
留学生がいるとまた違った楽しさがあります。
―― 入学して間もなくコロナ禍で休校もありました。
吉川さん 野球の練習がすごく楽しかったのに、新型コロナウイルス感染症の影響で、2ヶ月休みになって、仲間と練習ができないことがしんどかったですね。
2か月間はひたすら家で自主トレしていました。
―― ポジションはどこですか?
吉川さん ピッチャーです。
昨年度は試合前に肩を壊してしまいセカンドだったんですが、今年度からピッチャーになりました。
―― スポーツにはからだの故障という問題もありますが、気を付けていることはありますか?
吉川さん 食生活には気を付けています。タンパク質を多めに摂ったりとか。
姉がご飯を作ってくれるので助かっています。姉の作る料理ではオムライスが好きです。
―― 家族の話が出ましたが、そういえば父親に「野球の方がいい」と説得されたとお伺いしましたが、父親と野球の話はしますか?
吉川さん 練習の話はします。今日何をしたか、とか。さすがにキャッチボールはしなくなってしまいましたが。
父はサッカーとラグビーの経験者でもあります。
―― 野球のおもしろいところは?
吉川さん どんなに負けていても、最終回までどうなるかわからない。特に接戦だったりすると、観ていてもおもしろいし、やっても楽しいところです。
僕はピッチャーがずっと好きでやりたかったので、三振を取った時なんかは、めっちゃいいな!みたいな感覚が大好きです。
―― 吉川さんにとって野球とは?
吉川さん やりたいこと。
野球を続けて、職業にできたら楽しいだろうなと思っています。
―― ということは将来の夢は?
吉川さん 社会人野球に行きたいです。
―― 夢に向かって努力していることは?
吉川さん やっぱりからだづくりです。
そして今は試合でアピールしつつ勝って、上に上がる事しか考えていません。