インタビュー vol.18 佐藤友佳さん・津田シェリアイさん・川田朱夏さん
2020年10月1日(木)~3日(土)に開催された「第104回 日本陸上競技選手権大会」で優勝した佐藤友佳さん(こども学科2014年度卒業)、津田シェリアイさん(アジアこども学科2018年度卒業)、川田朱夏さん(こども学科3年次)の祝賀会を11月16日(月)に行いました。 敬愛高校と東大阪大学でアスリートとして研鑽を積み、最前線で活躍を続ける3人。コロナ禍で掴んだ栄光とそこに至る苦労、そしてさらに上を目指す意気込みを伺いました。
川田
今回の大会は1500mで強い選手や日本記録を持っている選手が800mにも出場していたので、その人たちに勝ちたいと思って挑みました。優勝した瞬間は「嬉しい」というより「ホッとした」という気持ちでした。
去年の結果は2位でした。そのときはレース中に焦りが出てしまって、序盤にペースを上げすぎて最後にバテてしまったんです。今年はリラックスしてレースができたので、それが勝ちに繋がったかなと思います。
津田
走高跳はクリアできなかった選手から脱落していくので、試合の最中に優勝が分かるんです。だから、今回は私だけが残った瞬間、まだ競技中なのに勝手に喜びに浸ってました。(笑)
他の大会で「日本一」は何度か経験させていただいているんですけど、この大会ではいつも勝てなくて。だから、自分でも気づかないうちに勝つことを強く意識していたみたいで、優勝が分かった瞬間に張り詰めていた気持ちが緩んでいく感じでした。
佐藤
私は18歳のときから出場させてもらっていて、今年で11回目の挑戦でした。だから、「ああ、やっと勝てた」と。私の強みは、特に最後の6投目にチカラが入るところなので、6投目を投げられなければたとえ優勝しても消化不良なんですね。今回は自分の強みを生かせた試合だったので、達成感と喜びでいっぱいでした。
川田
今年度の大会に向けて調整したり練習を詰めたりして、ようやく調子が上がってきたところでシーズン前半の大会が次々と中止になりました。さらに足を痛めてしまい、マイナスな要素が重なりました。でも、私は考えすぎないタイプというか、あまり感情的になることがありません。1試合ごとへの気持ちは強いのですが、ずっと一定で。でも、そこが自分の良いところかなと思います。9~10月に大会が行われると分かり、気持ちを切らさないことが一番大事だと思い、そこに合わせて調整していくことができました。シーズン後半に大会が集中して肉体的には疲弊していましたが、最後までやり抜くことができたと思います。
津田
私は通常なら身体のメンテナンスのために試合の間隔を3週間ほど空けるのですが、今年は状況的にそれが叶わず、立て直す期間もないまますぐ試合…という感じだったので、1度崩れると厳しいシーズンになっていたかもしれません。
ですが、今のコーチに見ていただくようになってから、練習方法が「とにかく自分の基礎体力を上げる」ものに変わりました。それを3~4年続けていたので、知らないうちにタフになっていたみたいです。今シーズンの詰まったスケジュールをこなしながら結果を出せたのは、その練習のおかげでスタミナがついたことが大きいと思います。
佐藤
新型コロナウィルス感染症対策の自粛中はいつものようにトレーニングができず、利用している陸上競技場も閉鎖されて槍を投げることができませんでした。そんな状況で何ができるか…過去の大会の映像を見ながら振り返る時間が増えて、トレーニングではない別の方向から競技に向き合うキッカケになり、自分のフォームを改善することができました。その時間が、今回の優勝にも繋がったのかなと思っています。
川田
小学生の頃から足が速かったので、中学校で陸上部に入りました。最初は短距離のつもりだったんですけど、部活動見学のときに「中距離のほうが楽しいよ」って言われて。それなら中距離にしようって。
敬愛高校から東大阪大学に進学したのは、そのまま同じコーチに指導していただけるからでした。自分をここまで強くしてくれたのがコーチなので、その期待に応えたいという思いで決めました。
津田
私も陸上競技は中学校の部活動からです。小学校の体育の授業で走高跳をやっていて、いつもクラスで1番でした。だから自信はあったんです。さらに、部活動見学のときに先輩の前でやったら「結構、跳べるやん!高跳びにしいや」って言われて、走高跳に決めました。
東大阪大学を選んだのは、やっぱり「環境を変えない」ことが大きかったです。高校から大学に上がるにあたって体形が変化して記録が落ちる…ということもよくある話なので、それを防ぐ意味もありました。
実践食物学科の先生が体組成を測る機械を陸上競技部に提供してくださっていて、在学中お世話になっていました。卒業後もシーズン中はよく大学に来て、アドバイスをいただいたりしています。
佐藤
私も中学校から陸上部で、槍投げは高校から始めました。中学時代、4種競技(100mハードル・200m・走高跳・砲丸投げ)で全国大会に出場したんですが、結果は7位で…納得いかない結果でした。敬愛高校の顧問の先生に声を掛けていただいて進学したんですが、そのとき先生に槍投げを勧めていただきました。先生が私の適正を見抜いてくれたんだと思います。
高校3年間この場所で練習させてもらって、ここにいれば私は必ず強くなれると思ったので、東大阪大学に進学することを決意しました。卒業後は附属幼稚園で働いていたこともあり、今も年に数回、附属幼稚園や陸上競技部に挨拶に来たりしています。
川田
大学1年生のときから自己ベストが出せていないので、来年は自己ベストを更新することが目標です。そして、もちろん東京オリンピックに出場すること。怪我せず、練習も積んで、来シーズンは良い年にしたいです。
津田
まずはオリンピックの出場権を獲得することですね。まだ標準記録には届いていませんが、そこに入れるよう記録を伸ばすために練習を積み重ねていきたいと思います。
佐藤
自国である日本でオリンピックが開催されるなんて、競技人生のうちにない確率の方が高いと思います。1分1秒、1日1週間を大切にして、競技に自分の人生すべてを掛けて挑みたいです。日本記録の更新と入賞を目指して、日々トレーニングを頑張ります。
佐藤友佳さん・津田シェリアイさん・川田朱夏さん インタビュー ムービー
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